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訃報:忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け
6  名無しさん  2009/05/14(Thu) 17:48
清志郎さんと天国で歌って がんと闘った川津さん 日田の公園 ロック仲間が歌碑
5月14日15時7分配信 西日本新聞

 大分県日田市石井にある石井小学校の裏手の公園に4月末、口腔底(こうくうてい)がんのため3月に39歳の若さで亡くなった同校出身のロックミュージシャン川津誠司さんの歌碑が建った。がんと闘い、のどの手術を拒んで歌い続けた壮絶な人生。2日にがんで逝ったミュージシャン忌野清志郎さんを敬愛し、忌野さんを彷彿(ほうふつ)とさせる生きざまに「天国で忌野さんと一緒に歌ってほしい」と悼む声が広がっている。

 高校を中退してバンド活動を始めた川津さんは、福岡、東京で約20年間過ごし、プロのボーカリストを目指した。2007年4月、夢破れて37歳で帰郷。後輩たちとアマチュアバンド「THE HEATERS」を結成した。

 がんが見つかったのは、帰郷から約7カ月後。木材関係の会社でアルバイトをしながら音楽活動を楽しみ始めたころ、口内に違和感を覚えた。医師から「手術をすれば声が出なくなる」と告げられた。ボーカリストにとって絶望的な言葉。「死ぬまで歌いたい」。川津さんは両親の説得にも首を縦に振らず、手術しない道を選んだ。

 放射線治療を終えて退院すると、毎回、「これが最後」の覚悟でライブを重ねた。持ち味のしゃがれた声も健在で「今が一番調子がいい。どこでもいいから歌いたい」と話していたという。交際相手の椋本和美さん(39)は「体調が悪くても弱音は絶対に吐かなかった」と振り返る。

 08年10月に福岡県うきは市でライブをした日、同じようにがんで闘病中だった忌野さんと電話で互いの病気のことなど30分ほど語り合った。電話の後、川津さんは「励ましてもらったんだけど、話したことが全く思い出せない」と興奮した様子だったという。

 がんは静かに体をむしばんだ。08年末に再入院。年明けには会話さえ困難になった。バンド仲間が闘病生活を応援するライブを日田市内で企画したが、川津さんは3月17日に息を引き取った。ライブの5日前だった。

 追悼イベントとなったライブには約200人が集まり、樋口隆彦さん(41)ら日田市在住のバンド仲間がその収益で歌碑を建てた。

 歌碑には、手術を拒んだ病床で書いた「月のうた」が刻まれた。「…1人じゃねぇと/言ってくれた仲間の言葉が/この俺(おれ)を歌わせてくれる/どんな時だって声をくれる/闇の向こうの月のうたを…」

 父親の誠さん(65)は「(息子は)幸せな人生だったと思う。手術をしなかったことも後悔していません」と歌碑の前で涙ぐんだ。石井小から元気な声が聞こえる。友だちがいることの喜びを歌った言葉は、きっと子どもたちにも届くはずだ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090514-00000027-nnp-l44
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